1964年(昭和39年)4月に発売された三波春夫さんの「
長編歌謡浪曲 元禄名槍譜 俵星玄蕃」です。

作詞:北村桃児(三波春夫のペンネーム)/作曲:長津義司
この歌を初めて知ったのは10代の時です。
田舎の公民館で何かの模様し物があり、舞台下の一番前で床にすわって観ていたら、舞台に上がった若い男性(市会議員の秘書?)が「先生に何かやってこいと言われたので歌います」と、身振り手振りのアカペラで「俵星玄蕃」唄ったのを観て感動したのを忘れません。
もちろんその時は「俵星玄蕃」だったとは知りませんでしたし、この記憶は小学生の頃だったと思っていましたが、発売日が昭和39年なので中学2年か3年生の時の記憶でした。
21歳の時、この歌が入った三波春夫さんの LPレコードを購入し、今も持っています。
俵星玄蕃の道場跡立て札は、両国国技館前に立ってます。
吉良邸跡は我が家から徒歩で15分ほどの所にありますが、余り行くことはありません😅
みなさぶろう72歳と3ヵ月の時。
槍は錆びても 此の名は錆びぬ 男玄蕃の 心意気
赤穂浪士の かげとなり 尽す誠は 槍一筋に
香る誉れの 元禄桜
姿そば屋に やつしてまでも 忍ぶ杉野よ せつなかろ
今宵名残に 見ておけよ 俵崩の 極意の一と手
これが餞け 男の心
涙をためて 振り返る そば屋の姿を 呼びとめて
せめて名前を 聞かせろよと 口まで出たが そうじゃない
云わぬが花よ 人生は 逢うて別れる運命とか
思い直して俵星 独りしみじみ 呑みながら
時を過ごした 真夜中に 心隅田の川風を
流れてひびく勇ましさ 一打ち二打ち三流れ
あれは確かに 確かにあれは 山鹿流儀の陣太鼓
時に元禄十五年十二月十四日、 江戸の夜風をふるわせて、
響くは山鹿流儀の 陣太鼓、 しかも一打ち二打ち三流れ、
思わずハッと 立ち上がり、耳を澄ませて太鼓を数え
おう、正しく赤穂浪士の討ち入りじゃ助太刀するは 此の時ぞ、
もしやその中にひるま別れたあのそば屋が居りはせぬか、
名前はなんと今一度、逢うて別れが告げたいものと、
けいこ襦袢に身を固めて、段小倉の袴、
股立ち高く取り上げし、白綾たたんで後ろ鉢巻眼のつる如く、
なげしに かかるは先祖伝来、俵弾正鍛えたる九尺の手槍を右の手に、
切戸を開けて 一足表に出せば、 天は幽暗 地は凱々たる白雪を
蹴立てて 行手は松阪町…
吉良の屋敷に来てみれば、今、討ち入りは真最中、総大将の内蔵之助。
見つけて駆け寄る俵星が、天下無双の この槍で、お助太刀をば致そうぞ、
云われた時に 大石は深き御恩は この通り、厚く御礼を申します。
されども此処は 此のままに、槍を納めて 御引上げ下さるならば 有り難し、
かかる 折りしも 一人の浪士が雪を けたてて サク、サク、サク〜〜、
「先生」「おうッ、そば屋か」
いや、いや、いや、いや、襟に書かれた 名前こそ、まことは 杉野の 十兵次殿、
わしが教えた あの極意、命惜しむな 名をこそ 惜しめ、
立派な 働き 祈りますぞよ、さらば さらばと 右左。
赤穂浪士に邪魔する奴は 何人たりとも通さんぞ、
橋のたもとで 石突き突いて、槍の玄蕃は 仁王立ち…
打てや 響けや 山鹿の 太鼓 月も 夜空に 冴え 渡る
夢と 聞きつつ 両国の 橋の たもとで 雪ふみ しめた
槍に 玄蕃の 涙が 光る
posted by みなさぶろう at 13:04
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